6月は株主総会のシーズンである。社長の交代も当然議題にのぼる。グローバル化により、人も資金も物も海外との交流がある。制度もそうである。ガバナンスが大事である、といわれる所以だ。
ここでの問題は、社長の資質は何であるか、後継者をどのようにして選ぶのか、その選任過程をどのようにして「みえる化」、「わかる化」するかである。
結論を先に行ってしまえば、社長は育つべくして育つ、マニュアル化しても形式的な「社長」という地位に就くことは出来ても、「良くも悪くも日本人の納得する社長(?)」を育てるのは、日本式社長育成術でなければならないのである。
以下に述べるのは、禅的社長育成法である。禅の思考法である「公案」(禅問答)の形をとることにしよう。
禅は、お釈迦様が得た「悟り」を坐禅することによって、祖師方が伝えて来、我々民間人にもその「悟り」を伝授してくれる思考法である。
最近の社長交代劇を見るにつけ聞くにつけ、あまりにアメリカ化してしまい、日本人が日本人であることを忘れてしまっているのではないかと思われる。
社長の何たるかを論ずる視点は色々あるかとも思う。しかし、いつの時代、どんな場所においても「社長は社長である」。
社長になりたい人もなりたくない人も、はからずも社長になってしまった人誰もが、先人社長達の歩んだ道を熟考するのが、日本的な社長の育つ道である。
拙稿は、先人の社長達が歩んだ経歴について、禅でいう「公案」仕立てにした。つまり、実例を取り上げ、本則・機縁・拈提と事実を示すのでその各項(節目ということ)毎に自分だったら、どのように考え、どのように行動するかを考えて頂きたい。もちろん、その正解がある訳ではない。しかし、社長という人種の人なりに迫れる筈である。
評唱は、筆者の意見である。それも参考にしてもらいたい。
多数の人達で勉強会のテキストにしてもよいし、公案として坐禅を組んで解いてもらっても構わない。
先人の歩んだ事跡から自己の「仏性」すなわち「社長のある姿・育ち方」について学び、気付いてもらいたい。発見するのである。
その中から、今後の世界経済を牽引する日本発の社長が誕生するに違いない、と信じる次第である。
失礼をも顧みず、公刊された書物から引用して、多くの社長さんに登場して頂く。社長さん達に感謝する次第である。
スポンサーサイト