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命懸けの発見

命懸けで、ことに当たっているといえば、大層な心がけだと、皆他人は誉める。自分は、そこまでの覚悟をしていないと思っているからだ。

大国の指導者であれ小国の指導者であれ、一国の指導者は、皆、命懸けだろう。現代は、暗殺の危険があるからだ。戦時下の日本の国民も、皆、そうだった。何時、自分が死ぬかも知れなかったからだ。
命懸け、とはそんなに一大事なことなのであろうか。

禅僧曰く、
人は、いつも命懸けで生きているのですよ。ただ一度しかない人生を無駄にはしたくないからね。精一杯生きて下さい。
禅はそのことを追求するものです。われわれはお師匠さんから公案という問題を与えられ、その答えを出すべく坐ったものです。
しかし、今の人達に坐禅をしなさいと言っても、足が痛いだけで何の発見もないとすぐに止めてしまう人が多い作今ですので、最近、私は坐禅をしなさいとはあまり薦めません。坐禅に代わる方法を教えましょう、と続けて話したものです。

命懸けということが分かるようになるには、坐禅するばかりが能ではありません。「精進」することです。
精進とは、今やっていないこと、何でも良いですから、例えば、奥さんの食事の後片付けを手伝う、トイレの掃除をすること、毎朝、経済書を読むこと等々を続けることでよいのです。特別のことではないのです。そうすれば、「精進」とは何かが分かってきます。でもその精進は「隠れた精進」の方が効き目があります。
「精進すれば命懸けになれます?」と皆さん、すぐに質問しますが、この頃の日本人は、何事も理屈が先行するようになったんですね、信じたら、黙って実行するということが、難しくなったのですね。

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。・・・施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである」(新約聖書・マタイによる福音書第6章第1節・3節)と、西洋でも言われています。
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カテゴリ: 老後

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