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「華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」

人は都合が悪くなると逃げを打ち、良くなると擦り寄る。事の本質が何であるか、を問おうとしない。現象のみを見て判断する。

「花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり」と道元禅師は言われる(正法眼蔵・現成公案の巻)。
花は惜しまれて散り、雑草は(花とは違い)いやな草だ、と思われながら(人間の思惑とは全く関係せず)生えてくる」という意だ。

筆者は毎年3月になると、道元禅師のこの言葉を思い出す。筆者の勤務先は東京・靖国神社の近くに所在するからだ。
通勤途上の土手の上の桜の花が間もなく満開となる。老若男女でにぎわい、花見に明け暮れる。しかし、この桜の花も、3月末から4月初めには、散ってしまう。

われわれは、花を愛で、あぁ惜しいな、と思いつつ残念がるのである。しかし、桜の木は「ただ黙って花を咲かせ、散ってしまうだけだ」。人間の思惑なぞものともしない。
企業経営者が、資金繰りに窮した時、高利のカネを借りたり、商品をバッタ売りしたり、銀行に嘘の財務諸表を提出して融資を得たり等のことをする例もある。これらは何れもしてはならないことである。知っていながら行ってしまうのは、企業経営とは何か、の本質を突きつめて考えていないからだ。こんなことをしたら銀行にどう思われるか、もう融資をしてくれないのではないか、取引先が商品を納めてくれなくなるのではないか、従業員がやめてしまうのではないか等と他人の思惑を考えすぎるのである。
企業経営にはルールがある。それさえ守って経営していれば、再生できるのだ。
大事なことは、会社の栄枯盛衰は世の常、と見極め企業経営とは何か、の本質を考え続け、経営にあたることである。政治も同様である。人の毀誉褒貶も世の常なのだ。
人はすべからく、「花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり」と世の真実を徹見する、ことが重要なのである。

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