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「七人の侍」から学ぶ日本の戦い方 【その1】

勉強とは、本を読むことばかりではありません。
映画を観ることは、実益と娯楽を兼ねた一石二鳥の勉強です。
優れた映画から、実人生で使える教訓を導き出すような見方をすることです。
映画は、世界中から選りすぐられた芸術家が集まって、作られたものですから、名画と言われるものは勿論のこと、駄作と言われるものであっても、ためにならないものはありません。
筆者は、そうして来ました。


昭和60年(1985年)4月に、野村総合研究所情報開発部から発行された同所編集にかかる「国際経営時代の法律武装-経営の視点でとらえた国際ビジネスの法務戦略」という本があります。
その「はじめに」にこう書かれています。
「企業が、本格的な国際時代をむかえている背景のひとつに貿易摩擦があり、それを回避するための海外進出が行われている・・・。
ただ、現地の企業経営は、米国などにみられるように多種・多様な法律と密接に関係している。
万事、法律で解決しようとする国の場合、法律を無視した経営は、経営目標の重大な障害を発生させる原因になりかねない。」
 わが国は、「万事、法律で解決しようとする国」ではありません。
イザヤ・ベンダサン氏の「法外の法」(日本人とユダヤ人・角川文庫)や会田雄教授の「『法』」より「心」(裁判官は絶対権威者か ボイス昭和58年10月号)ということが罷り通る国なのです。

 同書は、わが国とは異なる行動様式(ビヘビアー)をもつ国、すなわち、「万事、法律で解決しようとする国」があることを前提に、日本人に向けて書かれています。
そして、練達の国際渉外弁護士鈴木正頁氏が提言もし、監修したものです。

 注目したいのは、右書の題名の一部に、「法律武装」という言葉を入れた点です。
すなわち、同書の内容は、欧米の法律や事例の解説ですが、それらを知ること自体「法律」をもって「武装」することだと、この本の編著や監修に加わった国際問題に詳しい人達や弁護士が無意識のうちに意識しているのではないでしょうか。

 
以前は、日本において、訴訟を提起することは、「裁判×沙汰」と言われ、できれば、忌避したいことの一つでした。

 新明解国語辞典(第5版)には、裁判沙汰に及ぶ、という言葉について、「内輪で、話し合いや示談で平和裏に事を済ませるのではなくて、正式に訴訟事件として裁判所で曲直を争うこと」と説明しています。

 この説明からは、訴訟提起、すなわち訴訟事件となることは、「平和裏」にではなくて「正式に」争うことになる、ことを意味しています。
訴訟事件が「平和」でないとすれば訴訟事件はその反対の「戦争」「戦さ」「合戦」を意味することになっても不思議はありません。
多分、日本人は、無意識のうちに、そのように考えてきました。

 何事でも訴訟にする人や安易に訴訟を提起する人は、嫌われますが、「いや、そうではない」という理屈を言って、そういう意識は後進的であると主張して譲らない日本人、欧米社会における生活が長いために(特に、生まれた頃から幼少時代を過ごした人々)、自己の内なる感情を忘れてしまう日本人がいます。
やはり、グロ・・・バル化した21世紀は、自分を知り他人を知らねばなりません。
日本人の深層心理を知ることが大事である、と考えます。

 弁護士を雇ったり、法律を振りかざすのは、もともと日本人の行動様式には、あってはいませんが、21世紀は否が応でも、海外との交流なしには成り立ちません。
そのためにも、日本人の法律、侍及び戦い方に対する考え方を知らなければならないのです。


ここでは、「七人の侍」をとりあげます。

「七人の侍」を鑑賞するには、日本の戦い方の特質を知ることが必要です。
西欧社会とは、戦争や戦さの目的及びその方法が異なっている、と思われるからです。

この映画は、日本の社会というものを描きつくし、現代の取引社会にも通用するものです。
日本においては、法律や裁判は、武器であり、裁判所は戦場なのです。
日本の社会は、戦時状態と平時状態(平和な時代)とが、截然と分かれています。
侍=弁護士、武器=裁判、法律や契約書 、と考えてお読み下さい。


「七人の侍」(昭和29年度・1954年度、黒沢明監督、黒沢明・橋本忍・小国英雄脚本、三船敏郎・志村喬・稲葉義男・宮口精二・千秋実・加東大介・木村功・津島恵子ほか出演

(あらすじ)
戦国時代、農民は田畑に種を蒔き、耕作し、秋の稔りを待っています。
稲穂が実る頃、その農村を野伏り(野武士)が襲ってきます。
毎年のことです。
今年も野武士たちの襲撃に恐れおののく村人がいました。
今年は、野武士たちの襲撃に対する対策として、侍(浪人者)を用心棒(傭兵)として雇うことにしたのです。
侍さがしは難航しますが、志村喬扮する島田勘兵衛を筆頭に個性豊かな七人の侍が決まりました。
最初は、侍を恐れる村人たちでしたが、いつしか一致団結して、野武士たちとの戦いに挑みます。
闘いは、熾烈を極め、侍たちの何人かは倒れますが、村人達は、侍の助けを得て、村を守りきったのです。


(日本人及び弁護士に対する教訓)
日本は「和の社会」―これが分からないと一流の弁護士になれません
 聖徳太子の17条憲法の第1条には、「和をもって貴しとする」とあります。
・平和な農村には、本来、七人の侍(用心棒)も野武士も不要なのです。
なぜなら、村内には、収穫物をめぐる争いがない、つまり「和」が保たれているからです。
村人たちは、村長(むらおさ)を中心に生活しているのです。

日本人は、戦後、圧倒的なアメリカの影響を受けました。
日本国憲法をはじめとする法律の制定等もそうです。
しかし、表面上は変っていても、日本人が古来より、慣れ親しんできた実質上の法や争い方については、変っていません。
戦後の英語使いの学者さん達に騙されてはなりません。
この映画には、日本人の昔からの、権力を持つ者(徴税者側)と税金を払う者(納税者側)との有った姿が描かれているのです。
前者は武器を持っていますが、後者は持っていません。
しかし、人間が生きてゆく上に必要な食糧をつくっています。
日本の社会は、その両者の力関係によって、制度が決まってきました。
洋の東西を問わないでしょうが、黒船来航以来、とりわけ戦後、アメリカの影響を受けましたので、ことの本質が見えにくくなっていますが、昔も今も、その本質は変わりません。
権力を持つ人と税金を払って生産に従事している人との、力関係は変わりましたが、日本人は相変わらず日本人です。
そのような観点から見ると、大変面白いのです。

以上を前提に「七人の侍」を鑑賞しながら、日本社会における弁護士のあり方を考えます。

【その2】に続く
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