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「九十九曲がり細山道を直に通らにゃ一分が立たぬ」

「くねくねと折れ曲がった細い山道の坂をまっすぐに通って先に進むのでなければ人間ではないぞ、さぁー答えてみろ!」という禅問答です。

問答ですから当然に答えもあります。
この問いに対する解答が大事なのは言うまでもありませんが、その解答に行きつくまでの我々参禅者が考えて、考えて、考えて、老師の元にその答えを持って行く過程で考え抜くことが重要なのです。

独参は次のように進みます。
参禅者は答えを持って老師の待つ独参室に行き、二人きりで老師と問答です。
曲がりくねった山道の坂をまっすぐに進めといっても、そんなことはできません、と言う訳には行きません。
出来ないことが出来ることが禅ですから・・・(アッ!この言い草がすでに禅問答になってしまった!)

老師に自分の答えを示さなければなりません、黙っていると老師は
傍に置いてある鈴を取り上げて、チリンチリンと鳴らします、もう少し考えて来いという合図です。
坐禅堂に帰って自分の席(=単と言います)について又ウンウンと頭をひねりながら考えます。
次の独参には答えを持って又独参室に入って(=入室にっしつといいます)答えを提示します。

真っ直ぐに進めと言うのが問いなのだから、真っ直ぐに進めば良いのだろうと思い、「はい、真っ直ぐに歩いて行きます」と答えると老師は「それでは歩いてみなさい」と言われるので、老師の前で坐っているところから立ち上がりまっ直ぐに歩いてみせます。
すると「あなたは道のない山の中を歩くのかい、何時から人間を止めて動物になったのですか、動物にも獣道というものがあってそこを歩きますよ」とまた落第です。

じゃあ何と答えればいいんだ、そうか真っ直ぐに通れと言うのだから、歩いて行けとは言っていない、「そうだ空を飛んでゆこう」ということで今度は老師の前で、両手を広げ飛行機の真似をし、「はい、空の上を真っ直ぐに飛んでゆきます」と答えます。
「ほう~何時から人間は鳥のように空を飛べるようになったのだい?」と老師、これは正解ではないようだと分かります。
「曲がりくねった山道」ということと「真っ直ぐに通れ」という二つがわれわれの先入観にあるものですから、そんな道をまっすぐに進めるわけないよ、となりますが禅はそんな理屈を言っているのではないですね。
読者の皆さんなら、どのように答えますか?

幸田朗弁護士と若井弁三弁護士の問答もこの公案(禅問答)を巡る老師と参禅者の遣り取りに似ています。
この問答を解いた筆者の道友(坐禅仲間のこと)がいます。
彼は、歯内治療(歯の根管治療)を得意としている歯医者さんです。この方は「根管治療はつづら折れの道を行くようなもの、直線的に進めてはならず、丁寧に工程を踏まなくてはなりません。坐禅修行に似ています」と言っています。

そうか、やっぱり急いではいけないのか、と筆者は頭では納得しますが行動がついて行きません。業務を指導する側にも問題があることは分かりました。
そこで今度は、教えられる側に対する禅問答です。
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