弁護士報酬の定価はないのです。
しかし、弁護士報酬の定価はあるのです。定価と言うものは、資本主義に特有なもののようです。
「みなさんは、資本主義なんて平凡なもので、どこにでもここにでもあるものだ、とおもっているかもしれない。
とんでもない、ユーラシア大陸を東から西へと、試みにシルクロードを旅してごらんなさい。
長安(西安)ローマに至るシルクロードのまわりに住んでいる人々。
トルコまで行ったって同じことなのだが。商売が上手である。しかし、資本主義とはほど遠いのだ。
価格がない。
いくらで売買するかは決まっていない。定価というものがなくて、そのときの状況によって、駆け引きによって決まる。
品物には価格がある。
こんなこと、当たり前だと思うだろう。ところがどういたしまして、これが実に、資本主義市場の特徴なのだ。
資本主義に成っていない市場だと、価格が決まるまで手間隙がかかる。定価という考え方があるとも限らないのだ。
定価。
なんてあたりまえ珍しくも何ともない、なんて言いたもうことなかれ。
定価とは、滅多にいない珍獣なのである。
資本主義市場であって、はじめて定価が成り立つ」(小室直樹・経済ゼミナール資本主義のための革新12頁)のだそうです。
では、何故、資本主義において定価が成り立つのか。
答えは、資本主義の企業では、目的合理的に計算するからである。
だから、コストがいくら、儲けがいくら・・・などと計算できるから、定価がさだめられるのである、とは碩学の経済学者の説明(同上参照)だが、弁護士の定価を、コストがいくら、つまり事務員の給料がいくら、事務所賃料がいくら、弁護士資格を得るまでのロースクールの授業料がいくらなので何年で償却するから一年間いくらのコストになる、儲けがいくら、等々とコスト計算をして、定価を決めることで、衆目が一致するであろうか。
出来ないだろう。
現代の資本主義の総本山アメリカにおけるローヤーの報酬はどのように決められているのだろうか。
日本では、弁護士の投下した資本の額を考慮し、資本の回収と儲けを回収している訳ではない。
日本弁護士連合会は、以前、報酬基準を定め、会員弁護士は、その基準によっていたが、定価を決めると公正取引委員会のお眼鏡にかなわない。自由競争の理念に外れるからだ。
先頃、弁護士報酬は、自由化され当事者と契約して決める事となった。
しかし、なかなか難しい。
民事事件は、財産の争いなので、依頼人が弁護士に依頼して得た財産上の利益の何パーセントと決めています。
離婚事件や子供の親権を巡る争いや、親子の面会交渉権に関する紛争は、タイムチャージ、つまり事件を解決するために何時間かかったので、一時間当たり何円×時間数と言うがごとくに決めた方がよいのかもしれませんが、そうすると名医ならぬ名弁護士の時間単価が新人弁護士に比べて高くなりすぎてしまうでしょう。
だから、われわれ国内の事件を扱っている弁護士は、日弁連の報酬旧規定に準じて決めているのが、弁護士の多数派でしょう。
いずれにしても、弁護士報酬を事件受任の際に、曖昧のままにしておくと、後日、事件の解決に支障を来したり、依頼者とのトラブルの元になります。
依頼者と報酬の交渉を出来ない弁護士は、独立して法律事務所を構えるよりも、大きな事務所で自分の得意な能力を生かして、給料をもらうのがよいでしょう。
今の弁護士報酬の問題は、弁護士が自営業の時代のもので、サラリーマンの皆さんが勤める企業のように、大規模事業者たる弁護士が出現する時代のものでは、必ずしもないのです。
日本には日本型の資本主義が出現したように、日本型の弁護士が現れ、報酬も変わってゆくことでしょう。
まだまだ、日本人弁護士の報酬をめぐる悩みは続き、弁護士と依頼者との間のトラブルも当分なくなることはないでしょう。
スポンサーサイト