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禅問答(公案)

禅といえば、すぐに「禅問答」という言葉が浮かびます。
禅問答とは、分かったのか分からないのか、チンプンカンプン、である場合の譬えです。
この、禅問答を「公案」と言います。無門関とか碧厳録とかに載っている古人の悟った機縁を題材に、修行者を目覚めさせようとします。
これを古則公案、といわれるものです。

例えば、
「趙州、因に僧問う。如何なるか是れ祖師西来意。州云く、庭前の柏樹子。」(趙州和尚にある僧が、「達磨大師がはるばるインドからやってこられた意図は何ですか」と尋ねた。
すると趙州は、庭を指さして「あの柏の樹じゃ」と答えられた。(無門関 西村恵信訳注 岩波文庫144~145頁)
すなわち、修行僧が趙州和尚に尋ねました、達磨大師がインドからやってこられた意図は何ですか、と。
趙州和尚は、あの柏の樹、である、と答えたのです。
問いと答えになっているでしょうか。
理解出来る人はほとんどいないでしょう。
 
この禅問答は、何のためにするものでしょうか。
人を惑わすために、此の問答をするのではありません。
我々も、このような公案を師家(指導者のこと)から与えられて、坐りこんで考えると、答えが出るものです。
しかし、試験勉強と一緒で、試験に合格しても、その勉強が身につかねば何にもなりません。
公案をいくつ重ねてもダメだと言われることになります。

ある時、お坊さんが行脚(僧侶が諸方を巡り歩き修行すること)に出ました。
田舎の一本道を歩いていると1台の軽トラが追い越して行きましたが、また、何十分か歩いていると、今度はその軽トラが前からやって来て、傍まで来ると車を止め、
「和尚さん、何をしているのですか?」と問うたのです。
「歩いているのだよ」
その軽トラの運転手は、歩いて何をしているのか、つまり心のあり様を尋ねたかったのでしょうが、あまりに当たり前の見たとおりののことを答えられてしまったので、理屈を言う暇もありません。今度は、その和尚さんが尋ねる番です。
「あなた方は(軽トラには、老婦人と30才半ばの男子が乗っていました)何をしているのですか?」
「今、ガソリンを買って家に帰るところです」
「そのガソリンで何をするのですか?」
「ガソリンを撒いて、親子2人で焼身自殺をするつもりで、今、家に帰る途中、和尚さんのお姿を見たのです」

「地獄で仏」とはこのことです。
和尚さん、放っておくわけには行きません。
事情を聞くと、親から受け継いだ事業に失敗し、借金をこしらえ、妻子に逃げられ、親戚縁者にも見捨てられ、今や、誰も助けてくれる人はいません。もう生きていてもしょうがない、ということで母子2人で死のう、ということになったようです。

ここからが、和尚さんの公案です。
いくら禅僧が古則公案を終了したからといっても、地獄の一丁目に立っているこの母子、を助けられなければ、何のために修行しているのでしょうか?

「ところで、お金はないのですか、家屋敷はどうなのですか?」
「はい、お金も少しはありますし、家屋敷もあります。家屋敷を売り、借金を返しても約2000万円位は残ります」
おお、勿体ない、と思ったかどうかは定かではありませんが、和尚さんは言いました。
「あなた方が死ぬのは勝手だが、2000万円も残るのであれば、その家屋敷を売って、お金を使ってから死んでもいいじゃない。とりあえず、母を連れて、ハワイ旅行にでも行ってきたら・・・母親を旅行に連れて行ってあげたことはある?・・・ハワイに行けば綺麗な女性にも会えるし、おかねも持っているとまたいい女性に出会えるかもしれないし・・・地獄に行くのはその後にしてもいいのじゃない・・・」

その母子は、天を仰ぎ顔を見合わせました。
3、40分してから、その和尚さんは、言いました。
「今日は、その先の天獄というビジネスホテルに泊まる予定になっているから、死ぬ気になったら、この携帯に電話を下さい、お経をあげて差し上げますから」と、携帯番号を教えて、その母子と別れましたが翌朝の新聞にも、母子焼身自殺の記事は見つかりませんでした。

この和尚さんは、自殺しようとしていた親子の命を救ったのです。
これが、現成公案(生きた公案)です。
2~300年経つと、「あなたは、自殺したい、という人に会ったらどうするか?」という禅問答(=公案)になって、古則公案と呼ばれることになっても不思議はありません。
現在、古則公案といわれている公案も、現在の我々の日常生活の中に生かさない術はありません。
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