例えば、主婦が夕飯のおかずを作るために、スーパーや八百屋、魚やで食材をみつくろって、買い物をする場合です。
一家の主婦は、今日は、魚が高いから肉料理にしようかと肉を買うこともできますが、夫が妻に食材の買い物を頼まれた場合に、魚を買って帰った時は、「何で魚を買って来たの、何時もより高いじゃない、そんなときは肉にするのよ、分からなかったら電話すればよかったのに・・・」となります。
前者は、交渉主体が主婦であり決定権をも持っていますが、後者は、夫が妻の代理人として買い物に行った場合ですから、食材の決定権を必ずしも、持っているわけのものではありません。
従って、頼まれたものと違う食材を買って帰ると、妻からお叱りを受ける破目になります。
しかし、交渉の相手方たる肉屋さんとの間には、売買交渉が成立しています。
もし主婦たる妻が、「その肉を返して、魚を買っていらっしゃい」となった場合には、夫は肉の買い物をキャンセルしなければならなくなります。そうでなければ、損失を自分でかぶらなければならなくなります。
これが、本人交渉と代理人交渉の違いです。
資本主義は、代理人の制度と委任の制度で発展したと言われています。
弁護士は言うまでもなく、第三者の委任を受けて活動します。
民事事件ばかりでなく、刑事事件も同様です。
島田要弁護士が、若かりし頃のことです。
東京・新宿の歌舞伎町を住所不定無職の飛田早太郎氏が歩いていたとして、警察官から職務質問され、故なく刃物を所持していたという容疑で軽犯罪法違反により逮捕・起訴されました。
飛田氏の国選弁護人になったのが、島田弁護士です。
島田さんは、弁護人になると早速、東京拘置所に面会に行きました。
事情を聴きますと、飛田さんは、住所不定などではない、つい先日まで土建工事の労働者として、強面建設の飯場に住みこんで働いていたのであり、「早く釈放してもらい、ここから出たい」と訴えるのです。
身柄釈放手続きには、保釈手続があるのですが、勿論、飛田氏には保釈金となるような金銭はありませんし、保釈金を立て替えてくれるような知り合いはいません。
勾留取消申立を検事がすることは、通常ありませんので、島田弁護士が考えたことは、勾留取消の申立をするというものでした。勾留は、拘留・科料にあたる犯罪の場合に勾留できるのは、「住居の定まっていない場合に限られるのです(刑事訴訟法60条3項)。
島田弁護人は、飛田さんを引き受けてまた飯場(寄宿舎)に住まわせてもらいたい旨、また身柄引受人になってほしい旨を、強面建設の強蔵社長と優子夫人に頼みました。彼らは、事情を分かり快く承諾してくれました。
勾留申立をしたところ、めでたく勾留取消決定があり飛田さんの身柄は釈放されることになり、強面建設の社長夫妻が東京拘置所に、行き、無事飛田さんは住居不定の身ではなくなりました。
島田弁護士が臍を噛んだのは、翌々日の朝でした。
強面建設の優子さんから、「今朝、飛田早太郎さんがいなくなった」と連絡が入ったのでした。
つまり、飛田さんは逃亡したのです。
逃げ足の早いことといったらこの上ありません。
ここからが問題です。
代理人は、本人の意をくんで、第三者と交渉するのですから、本人の意思と代理人としての交渉結果が食い違う場合が出てきます。
飛田さんと島田弁護士との間には、飛田被告人本人の身柄を早期に釈放する、という方針が決まったのです。
すなわち両者間に、交渉が成立したのです。
その交渉によって妥結した結論をもって、弁護士は、検察官や裁判官と法律的手段を用いて、本人の目的を果たさなければなりません。
その代理人と本人との約束、信義が守られないことが往々にしてあります。
その場合には、第三者に迷惑を掛け、交渉によって到達し、妥結した事項が守られなくなります。
弁護士が代理人として、本人と交渉して到達目標を良く煮詰めておかないと、本人に不満が残ります。
飛田さんは、拘束されている今の現状から逃れたい一心のみで、誰からも拘束されたくない、という要望をもって島田弁護人に、自分の身柄釈放希望を交渉したのです。
代理人として交渉する場合には、常に本人の意思がどこにあるかを念頭におかねばなりません。
相手方との交渉に熱中するあまり本人の意思をなおざりにすると、あとで足をすくわれることになります。
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