交渉においては、相手方と言わず味方と言わず、「説得する」ことは必ずしも得策ではありません。
説得とは、自分の意志や主張を十分に話し(伝え)て、相手に納得させること(明解国語辞典第6版)、を言います。
この国語辞典には、「説得(工作)を続ける、犯人の説得に当たる」という用例が載っています。
説得される側は自分の意志ではないが渋々納得させられてしまうのです。
民事訴訟は和解、つまり話し合いで終わることが多いものですから、弁護士は当事者を裁判所の和解の席上に同行します。
ある事件で、弁護士が依頼者とともに裁判所に行ったところ、裁判官がその代理人弁護士に向かって、(依頼者を)「説得してきて下さい」というので、件の弁護士は「はい、説得して来ます」と答えたものです。
裁判が終わってからその当事者は、弁護士に烈火のごとく怒りました。
「私は、何も悪いことをしているのではない。悪いのは相手方だ。それなのに何故私が、『説得』されなければならないのだ!」と。
人間は、何事も自分の意思を通そうと努力します。それが、他人の言葉によって、それも自分の味方だと思っていた代理人弁護士にその主張を曲げさせられねばならないのか、という訳けです。
民事訴訟の依頼者は、相手方の意志が自分とは異なり、相手方が悪いと思って、闘っているのですから、「説得」というコトバによってその言葉を発した人の心のうちを読みとるものです。
十分に闘った後に和解交渉は妥結するものです。
安易に「説得」などしないで、交渉人が「説得」されるくらいが丁度よいのです。
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