承継させる者はあれもこれも、役に立つものは何でも承継させたいと思うし、承継する者はこれも又、役に立つものであれば何でもかんでも承継したいと思う。
人、物、金であろうとノウハウと言われるものであろうと、いずれを問わない。事業承継を成功させたいと思うからだ。
親子の事業承継の場合などであればなおさらだ。
事業承継成功の成否は何であろうか。
受け継ぐ時期や場所、そのものの量や質、受け継ぐことの是非善悪等、はすべて関係がない。あくまでも事業承継者の一存にかかっているのです。
事業を承継した者が、受け継いだ事業をどのように成長・発展させるか問題なのです。
それでは、身もふたもなかろう。何を言いたいのかがわからないかも知れません。
先人はどう伝えて来たかを見てみましょう。
大阪の冬の陣に際し、徳川家康は、徳川四天王の1人であった井伊直政の子、直孝に先鋒の名誉を与えたが、直孝にはそれまで実戦指揮の経験がなかった。
そこで、直孝は、井伊家に仕えていた老軍師に教えを乞うた。
何か、俺に伝えるものはあるか、というわけですね。承継者の方が親の事績の大きさをよく知っているわけです。
現代でも一代で事業を大きくし、上場企業にまで育てた創業社長の子が創業社長の側近に教えを乞うようなものです。
「はい。大将たる人、志を決断し、狐疑(=疑いためらうこと)なく下知(=指図・命令)すること。
両端(=迷って形勢をうかがうこと)を持しましては、兵の道は決して行われません。
多年、常に考究して参りました私の結論は、これに尽きます」(岡谷繁実著・新訳名将言行録・兵頭二十八編訳・PHP研究所刊41頁参照)と答えます。
老軍師は、直孝の父である井伊直政と幾度となく生死定かならざる戦場を駆け巡ったでしょう。
そこから得た結論が、上記の言葉です。直孝は老軍師から言葉を介して、「父直政の経験」をもらっているのです。
しかし、父のようになれるか、又は父を越えられるかは本人の精進にかかっています。事業承継者たる者は皆同じなのです。
老舗には「家訓」というものがありますが、それは代々の当主が伝えたい「経験の言語化」と考えても良いでしょう。
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