昔も今も、変わりはないでしょう。
田村長佐衛門さんは、農家の5人兄弟の長男に生まれました。
学業成績も良かったのですが、長男であったため中学校を卒業するとすぐに、家業の農家を継ぎました。
最初は、百姓が嫌で嫌やでたまりませんでした。
同級生が普通高校や商業高校に進学し、卒業すると都会に出て行き、会社に就職し、ビジネスマンになったものです。
長佐衛門さんが農家を継いで働いたお陰で、弟や妹は、上の学校にも進学し、都会に出て働くことが出来ました。
その田村長佐衛門さんが、亡くなる前に言いました。
「私は、農家を継ぐことがイヤでたまりませんでした。しかし、今、こうやって人生の終りに近づくと、農家の後継ぎになったことは、天職だったのだと思います。大変、苦しくも面白い人生でした」と。
現代の方が、個人の意思が、尊重されているのかも知れません。
しかし、昔も今も変わらないのかも知れないのです。
一見、現代は個人の意思が認められているかのようですので、事業承継の場合も、承継者と被承継者の承継の意思の有無を分けて、考えてみます。
問題の所在が、異なります。
親子の承継の場合を念頭においています。
■親の方が子供に継いでもらいたいと思っている場合
この場合には、親の事業の規模に関係してきます。
事業が家業の段階にある時点で、将来、子供に自分の事業を継いでもらいたいのであれば、親は子にそのための教育を施すことです。
■家業の段階でまだ子が小さい場合
子の方の事業承継の意思が生ずるのがどの時点か、が問題です。
小さい子は親のことをよく聴き、真似をします。
子は親の様になりたいと次第に思い、長じて、子が親の起こした事業を更に成長させます。
その教育方法は身近にたくさん転がっています。
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