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承継するものがないのが本当の事業承継であり老舗がその見本だ

承継するものが何もないのが本当の事業承継です。
事業承継とは親から株式や財産を受け継ぐものなのではないかと考えられていますがその本質は違います。
偶々それらをひきついだだけなのです。
承継するものは何もありません。

事業承継とは、われわれ各個人の生き方そのもののことなのです。自分自身の「事業」に目覚めることなのです。

少し説明しましょう。
事業とは、一般的にいえば、人、モノ、カネを集め一定の目的で行う社会活動、それもそのうちの経済活動であって、承継とはその経済活動を引き継ぐことです。
ヒト・モノ・カネは有機的に一体となったものです。
事業は現代では、株式会社によって行われていますので、事業承継と言われるものは、株式会社の承継と殆ど一致すると思われますから、会社の承継としてお話します。

まず最初に、事業承継というとき、筆者はいつも次のような「世尊拈花」という話を思い出します。
 
釈迦牟尼世尊が、昔、霊鷲山で説法された時、一本の花を持ち上げ、聴衆の前に示された。
すると、大衆は皆黙っているだけであったが、唯だ迦葉尊者だけは顔を崩してにっこりと微笑みました。
そこで、世尊は言われた、「私には深く秘められた正しい真理を見る眼、説くに説くことのできぬ覚りの心、そのすがたが無相であるゆえに、肉眼では見ることのできないような不可思議な真実在というものがある。
それを言葉や文字にせず、教えとしてではなく、別の伝え方で摩訶迦葉にゆだねよう」(無門関・西村恵信訳注 45頁)

問:事業はお釈迦さまが弟子たちに訓えたように、伝えられる側の人がそれを自分でつかまなければ、自分のものにならない、つまり承継するものがない、と言いたいのですか?
答:そうです。親が子にいくら教えようと思っても、教えられるのはあくまでも子供のほうです。親は子供に無用な苦労はかけたくない。
子は子で戦後の教育をしっかりと受け、理屈でわからないと親のことを聞かない。親のいうことを「古い!」などといいます。
言葉や文字で伝えられるのは、事業の真実ではありません。
事業の真実は釈迦牟尼世尊が言ったように、「別の伝え方」でしか伝えられないのです。つまり、お釈迦様は「悟り」を伝えたかったのです。「悟り」というものは自分で気づくしかないのです。
お釈迦様はそれを弟子たちに教える、すなわち気づかせようとしていたのです。
事業承継も親の悟った「事業」という「悟り」を子に伝えたいのではないでしょうか。
問:では何故世の中の人達は、人達は「事業承継」というのでしょうか?
答:それは簡単ですよ。
我々人間はいつ死ぬかも分からない、ということを観念的、つまり頭の中では知っていても、行動が伴わないからですよ。
問:もう少し分かるように、説明して下さい。
答:此処に、お腹が空いた人がいて目の前に食糧があるとします。自分も目の前に食糧があるとしますね。
問:はい。
答:空腹である人は手を動かして、食物を口で食べなければ、自分の腹が膨れない、ということです。いくら食物を食べれば腹が一杯になることを知っていても、食物を口で食べるという行動をしなければ空腹感は、充たされないということです。自分がいくらその事を教えても、教えられる側の人が行動に移らなければ腹は膨れません。
問:事業も理屈ではない、行動であって理論ではない、ということですね。
答:事業についても同じです。
親の悟った「事業」というものを伝え、子の方が「これだと悟った『事業』が伝わればよいのです。
伝えられたかどうかはあくまでも伝えられる側の人が、その真実をつかむかどうかです。
いくら訓えても訓えられないものがあるのです。
事業を承継しようとする者は、事業は自分一代限りと見切るのも良いかもしれません。
なまじっか、会社組織という事業をそっくりそのままに、子供に継がせよう等という下手な欲があるからいけないのです。
その欲が失くなれば、会社経営の手法も変わってくるかも知れません。
問:継がせるものが何もないのであれば、「事業承継」等ということを言う必要がないのではないですか?
答:その通りです。
問:どうしても子供に継がせたいという人はどうすれば良いのでしょうか?
答:上手く自分の事業を承継させる方策なりなんなりの努力を続ければ良いだけです。
その毎日毎日の努力そのものが事業承継なのです。
問:考えてみれば、事業承継は、武道の達人が弟子にその秘伝の技を伝え、免許皆伝を許すことに似ていますね。
答:近年、中小企業の事業承継問題が声高に叫ばれています。
これは、日本経済を支える中小企業の経営者が高齢化し、後継者がいないとか、いたとしても後継者たる経営者の身内の人達が二派、三派に分かれて争って事業承継がうまくゆかなくなってきているからでもあります。
また、戦後、発展を続けてきた日本経済が曲がり角にきた証左でもありましょう。
中小企業基本法の改正や、中小企業を取り巻く金融情勢の変化、会社法の改正等、中小企業における事業承継をめぐる近年の環境変化は著しい。
これらの環境変化に対応して、世界に冠たる日本の中小企業の技術などを承継して行くためには、事業承継とは何か、についての本質を考えておかなければなりません。
問:でも、引き継ぐものが何もないのが事業承継なのですか?
何か納得がゆきません。

答:そういうしかありません。それがわれわれ、人間の本質ですから。
事業承継に際し、承継者が承継するものは何もない、と言うと、被承継者は嘆かれるかも知れません。
これは、承継させるものも何もない、ということの裏返しなのですから。
しかし、これは真実なのです。
事業を引き継いだ息子である後継者が倒産し、「親父から財産はもらったが、経営の仕方を教えてもらったことはない・・・」、と慨嘆するようなことからも明らかです。
財産は譲ることは出来ても、経営の仕方を教えることをしなかったのだから、子は経営の仕方を承継していない、事業をも承継してないと言うでしょうか?
それでは経営の仕方を承継できるのでしょうか。
残念だが、これも承継出来ません。
従業員、株式、会社の資産、顧客、これらを引き継いで事業承継が成功するでしょうか?

一人一人姿かたちが違うように、経営の仕方も事業のあり方も時代や場所、自分がどんな立場かによって違ってくるのです。
承継者と全く同じということはあり得ません。
われわれは、事業経営も承継者から学び、体験し実践して行かなければならないのです。
事業承継とは、自分の生き方そのものである、という所以です。

問:日本には老舗と言われるものがありますが、それらは事業承継をして来なかったのでしょうか?
答:100年も200年も、又それ以上に続いている企業もあれば、創業間もなくつぶれてしまう会社もあります。
創業後30年経っている会社があるとすれば、それは成長軌道に乗ったか、又は倒産の道へと踏み込んでしまったかのどちらかでしょう。
社長が創業以来変わっていないとすれば、そろそろ創業社長の肉体年齢は終盤に近いのです。
20代、30代で創業していれば50代、60代になるだろうし、40代の創業であれば、70代の年齢になっています。
事業が家族の労力と資本を集めてやっている家業であれば、繁栄していても、倒産しても第三者に与える影響は少ないので、事業承継を研究しつくすことは必要ではありません。
しかし、事業を後の世代に引き継いで行こうとした場合には、これはこれで研究しなければならないでしょう。
私たちの周りにも3代、4代続いている会社は結構あるものです。その秘訣は何でしょうか?
元禄13年(1、700年)の創業以来300年以上経っているF金属箔粉工業のFさんは述べています。

「われわれ一人一人にとってみると、三百年というのは別にあんまり関係なかったですね」・・・
「外側からご覧になると、三百年も続いてすごいなと思われるかもしれないですけど、実際われわれとしては三百年生きてきたというます認識ってないんですよ。あくまでも結果ですよね。
毎日毎日を積み重ねた結果が三百年になったわけでして、それは五百年経ったとしても同じでしょう。
毎日毎日の積み重ねが五百年続くかどうかという話ですから、その意味で伝統とかあまり考えたことないですね」(野村進著・千年、働いてきましたー老舗企業大国ニッポン49頁・角川書店刊)

毎日毎日、ベストを尽くして働く。毎日毎日の積み重ね、これが老舗のノウハウであり、事業承継の要諦です。
これは、一見、易しく思われるが実践するのは難しいものです。
簡単に承継する等と言ってほしくないですね、その毎日の努力を「事業承継」と言っているだけです。
だから、[為シ似せ、つまり父祖の方針を守って踏み外さぬようにする意]が老舗(新明解国語辞典参照)なのですね。
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