スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ: スポンサー広告

老師(恩師)(3)

人間は動物と違って、生まれおちても直ぐには、一人立ちできない。
親の躾け・教育はさることながら、第三者の指導は欠かせない。恩師から一人前であるという卒業のしるしをもらって、社会に出ても死ぬまで学び続けなければならないが、子供の頃教わった先生の訓えは大きい。
やはり「鉄は熱いうちうちに打て」なのだろう。
人によって、小中高校の先生、或いは大学時代の先生とその教えてくれた先生は異なるが、その内容は真実を突いているものだ。
しかし、時代に応じた、またその人物に応じて教え方も異なる。
若手弁護士の話である。
「私は、ロースクール時代に教えてもらったH教授の言葉が忘れられません」
そのH先生とは民法学者で債権法や不法行為法に多大な功績を残された元東大教授である。
「ほう~、何と言われたんだ、H先生は?」
「誰がそのことを言ったかではなく、その人が『何を言ったのかが大事』なのだよ。法律家は、社会的に偉い人が言ったからという理由で、それが正しいと思ってはならない。その人が『何を言ったか』を大切にしなさい、内容が大事なのだよ、と教えてくれたんです」

最近は、誰が言ったかを問題にし、言った内容が正しくともその内容について一顧だにしないという風潮もある。
もう○○委員会で決まってしまったものだから、今さら予算が増えるからといっても再検討はしない、等々というものだ。

本来、誰が言っても正しいものは正しく、誤りは誤りなのであるに拘わらずにである。
H先生は、法廷での証言も肩書にとらわれて、その内容を吟味することが大切であることを、将来、法律家になるロースクールの学生に教えたかったのかも知れない。
誰が証言するかではなく、どんな証言をするか、が重要なのである。

筆者も昔、会社のお家騒動の際、相手方である被告から、その株式の評価額について、当時有名な「東大名誉教授」なる学者の「鑑定書」が提出された事案にぶつかった。
その事件では、その東大名誉教授の「言葉」を裁判官は採用しなかった。
スポンサーサイト
カテゴリ: その他

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。