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第1章1-3 軍事戦略論と禅的思考と弁護士 

日本人の戦略力の原則 一所懸命の原則

禅に学ぶ日本人の戦略力の原則は、ハンニバルの原則に同じである。すなわち、
① 目的の原則
「戦いの究極の目的は、ライバルの戦意を破砕し戦勝を獲得することである。目的は哲学や理念のもと確立するものであり、戦わずして目的を達成することは至高の戦略である。目的に対して、決定的に意義を要し、達成可能な目的を確立することが重要だ」(奥出阜義・ハンニバルに学ぶ戦略思考26頁)。

② 創造の原則
「目的達成のために、脳漿を搾り、肝胆を砕いて、あらゆる創意工夫により必勝の方策を捻出する。この際、形式主義に陥ったり過去の勝利におごることを戒め、その戦場の特質および千変万化の状況に即応して戦争の方策を創造する」(前掲書・26頁)。

この2つの原則をしっかりと記憶にとどめ、常日頃より、用いれば良い。

日本人の戦略力の原則は、一所懸命の原則、これである。
以下は、奥出阜義・ハンニバルに学ぶ戦略思考(ダイヤモンド社刊)に書かれたハンニバルの戦略思考を日本人流にした日本人のための戦略思考の技術である。

それは、「ハンニバルの戦略思考を禅的に学んだ」日本人の戦略力である。必要に応じ、前掲書を「奥出○○頁」として引用する。

ところで、戦略と戦術とは、同じだとか違うとかいう人がいるが、そういうことは問題ではない。しかし、そういうコトバを使って、言いたければ言ってもよいが、日本人は日本人なりに、外国人はその国、その民族なりの戦いに勝ち、生き残る「戦略」を考えたらよい。得意なものを使えば良いだけだ。

コトバによって考えるのは、西欧列強諸国の得意とするところだから、幕末・維新期の黒船到来に以来、世界をリードし、産業革命を最初に成し遂げ、植民地をつくり、略奪戦争に乗り出したのである。
日本は、そんな彼らと干戈を交え、第2次世界大戦を戦ったが。戦争(大東亜戦争・太平洋戦争)に負け(昭和20年・1945年)、矛を収めた。

その後、日本人は廃墟の中から驚異的な復興を成し遂げ、経済戦争(?)を勝ちぬき、石油ショックにもめげず、バブル崩壊、リーマンショックを乗り切り、現在に至っている。

武器を持って戦うのが戦争で、そうでないのが平和だと考える人がいるかもしれないが、そのような考え方は、正確ではない。
すなわち、平和とは、「戦争や災害などが無く、不安を感じないで生活できる状態」(新明解国語辞典第6版)と解説されているように、平和の意味は、そう単純ではない。
不安を感じるか否かは、人間の心理状態であるから、干戈を交えているかどうか、という客観的状態のみを指すばかりではないからである。
日本には、「今」、国民(自衛隊員含む)が外国と武器をとって戦っている国はないが、何時、攻撃されるか分からない状況にある。国民は、現在、近隣の国からの攻勢(核開発や領海。領空侵犯)に不安を感じないで生活できているだろうか。

そう考えると、戦争と平和は截然と区別できるようでできない、何時干戈を交えてもおかしくない状態にある、すなわち、戦争と平和は、混然一体としている、裏表の関係にあるといっても良いだろう。
戦いに勝つため、「不安を感じないで生活出来る状態」を得るために、戦略力が必要となる所以である。

弁護士はいつも戦いの連続だ。最近の日本人は、理屈が先に立ち行動しない人が増えた。という筆者も、自分自身、理屈ばっかり言って行動しなくなった、と感じている。
日本人の戦略・戦術力は、何事につけても「一所懸命」やること、これに尽きる。
これは簡単だ。「命懸け」で闘うこと、これだ。これが禅的思考による戦略論だ。

戦国時代に戦争ならぬ「合戦」を数多くこなしてきた日本人の「戦略力」である。
一所懸命とは、「命を懸けて」ことにあたるということだ。
次に、弁護士の「公案」(禅問答)として事例を挙げて検討する。。
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