ロースクール発足以来10数年が経った。この間、社会環境の変化が著しい。弁護士の側の変遷もある。そのうちの最大のものは、弁護士の数が増えたことであろう。
日本の司法制度は、アメリカ化の一途をたどっている。
今、日本は司法制度のみならず、その他の制度についても社会変革の真っただ中にある。
弁護士の取り扱う事件は、人間抜きでは語れない。
われわれ弁護士は、扱う事件をどういう視点でみたら良いのか、について書いた。
ところで、禅における公案とは、禅において「人間とは何か、世の中の真実とは何か?」を修行者に悟らせるために出された一種の試験問題である。一つの解答らしきものはあるが、それが絶対ではない。
禅の公案は、知識を試す問題ではないからである。
本稿を「弁護士の公案」として学ぶのは、弁護士の対応する事件の処理についても、「知識」の有り無しが試されるものではないからであり、事件処理についてもこれが、「正解」であるという「知識」が求められているからではないからだ。
しかし、法律知識及び種種雑多な知識と「人間力」が求められているのが日本の弁護士である。
筆者は馬齢を重ねた所為か、最近、若手の弁護士達から弁護士として独立するにはどうするのか、金が儲かるようにするにはどうするのか、人脈をつくるにはどうするのか、どうしたら独立できるのか、等々につき質問されることが多い。
それらは、筆者が教えてもらいたいくらいだ。
われわれは、先輩弁護士がやっていることを見て、見よう見まねで、習い覚えたものであるが、近頃はそうもゆかないらしい。そこで、筆者が経験し、習得した事を「コトバ」にしたものが、本稿である。
ところで、禅の公案集は禅の修行、すなわち実参実究のための手助けにしかならない。
それと同様、本書の「公案」と称する問題にも絶対的な正解はない。
弁護士を依頼したり、法律問題にぶつかったりした場合の一助になることを願って弁護士の「公案」と名付けて執筆した次第である。色々と自分の頭で考えて事件に対処すれば、きっと最善の結論を得ることができる、と確信する。
本稿が、読者諸賢の裁判や法律に対する関心を呼び覚まし、少しでも日常生活のお役に立てれば幸いである。
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