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何故、社長の公案を学ぶのか?

われわれ日本人は、資本主義社会に生きている。自由主義社会である。国家が、我々民間人に経済活動を強制することは原則としてない。
役人は、国民から税金を徴収し、国家でなければできない「事業」、例えば、防衛関連の分野にその税金を使うだけである。経済は、人為的に操作できるものではない。頭で物を考える人は、政策を行使して、デフレ経済にしたりインフレ経済にすることができると思っているかも知れないが、為政者が、人為的に景気を左右することは不可能である。
そのような社会において、事業活動をしている社長さん達は、市場活動によって、経済的価値を生みださなければ自社の将来は無いのである。
世の社長さん達の多くは、自分の経営に「自信」を持っていない、どこかに自分よりもすぐれた「経営」がある、と思っていないだろうか?
社長にも家庭生活があり、会社での社長としての生活がある。その双方共密接に結びついている。それが、禅としての日常生活なのだ。
誰からも仰ぎみられ、尊敬されるようなそんな立派な「経営」がある筈はないのである。
禅とは、日常生活そのものである。それを分からなければダメなのだ。
人がA社の経営とB社の経営を比べるから、いいとか悪いとかが言えるのだ。
拙稿をお読みになっている「社長」にとっては、「自社の経営」があるのみである。利益が出ようが、赤字続きで倒産の危機に瀕していようが、そのままが「経営」というものである。
すなわち、「社長の公案」に出て来る社長と社長たる自分が「社長として同じである」、すなわち、従業員数万人を擁し、1兆円の売上高を誇る会社の社長と従業員5,6名の零細企業の社長であっても、社長は社長なのである。そのことに気づいてもらいたいのだ。
社長たちは、皆、市場に対する活動が違うだけなのである。それに気付くことが経営者たる社長の「悟り」なのである。その「悟り」に気付き、会得したら、又、その「悟り」を忘れ、資金繰りの苦しみを乗り越え、利益の増大に喜ぶ「社長の喜怒哀楽」そのものが、禅なのである。(H・I)
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