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第2則 元三菱地所福澤武社長(3) 評唱

(評唱)

福澤武さんの「私の履歴書」を読むと、筆者は、同氏が社長という人間」とは何かについての「求道者」に思われてならない。
人間の生死問題に気付いていなければ、
28歳で入社したことが人生で一番嬉しかったなんていえない言葉だからだ。
禅学徒が唱える「受け難き人身を受け、会い難き仏法」に会ったようなものなのであろう。

今年(平成28年・2016年)は、臨済宗中興の祖白隠禅師(1685~1768)の250年遠諱に当たり、
京都、東京で記念展覧会が開催されている。
その白隠禅師が、「大凡辨道工夫ノタメニハ、病中程ド能キコトハ此レ有ルベカラズ」(いったい、修行の上においては、
病中ほどよい環境はない」

(白隠禅師法語全集第九冊訳注・寺澤勝弘、遠羅天釜・禅文化研究所刊60頁、315頁)といっている。

三菱地所入社前より、福澤さんは、この白隠禅師のいうように大修行をしていたのである。  

また、後継社長の指名も特徴がある。指名当時の社長から次の「社長をやって下さいと告げられ、
ああそうですか」とあっさり次期社長が決まってしまうなんてことは、あたかも「釈迦牟尼世尊が、
昔、霊鷲山で説法された時、一本の花を持ち上げ、聴衆の前に示された。
すると、大衆は皆黙っているだけであったが、唯迦葉尊者だけは顔を崩してにっこりと微笑んだ」(無門関 西村恵信訳注・岩波
文庫45頁)、そして、お釈迦さまは、自分が説法で示した事実を見て、迦葉尊者が悟ったのを認めたのと同じではないか。
すなわち、福澤さんは、後継社長の指名を受けた段階で「社長たる者とは何か」を分かっていたのである。

社長在任時の旧体制下で成長した社員、いわゆる守旧勢力の抵抗も激しかったであろう、
またそれを打ち破ろうとする改革勢力、就中、若手社員のやる気がどれほど引き出されたのであろうか?

だから、社長に就任後は、会社が活性化し良い仕事ができたのだ。
又、後継者をも見つけることが出来たのである。

「守るべきものは守り、変えるべきものは変えることである。
私自身、経営者として口癖のように繰り返してきた」と述べ、
「一身にして二生を経る」(身体は一つだが、二つの時代、つまり異なる人生を送る、という意)という
福澤諭吉の言葉を引用し、自分は83年間の人生を振り返り、3つの時代を生きた、と述べる。
このように考えれば、社長というポストにしがみついている、という、故なき中傷にさらされることも
無くなるのではないだろうか。

また、福澤さんは、「老舗の理念や歴史に共通するのは、まずはお客様に良い物、良いサービスの提供を目指すことである。
それを実現するために、従業員を大切にして従業員の価値を高める。
そのうえで生れた利益から株主配当を出していく。それこそ老舗の精神である」と主張する。

最近のROE経営だとか、利益至上主義のような会社経営の手法に一考を促す意見ではないだろうか。

サラリーマン諸賢が、同僚、先輩、後輩と競争に勝ち社長の座を獲得しようとする目的は何であろうか、
またその途中で起こる事どもは何なのであろうか、というのが社長の公案である。


(参照文献)
・日本経済新聞「私の履歴書」平成28(2016)年4月1日~4月30日
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