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第4則 加藤文雄ツカサ工業社長(3) 評唱

(評唱)①技術力は、加藤社長の個人的能力に負うところが大のようだ。従って、これまで以上に、会社としての技術力を磨いて行くことは、後継社長に課せられた宿題であろう。研究開発費にどれだけ資金を投入するか、ということだ。②環境整備は社長がやる気になればどんな社長でもができる。資金はいらない。環境整備とは、規律・清潔・整頓・安全・衛生のことであるとして環境整備こそが、活動の原点であるとして、その重要性と実例...

第4則 加藤文雄ツカサ工業社長(2) 拈提

(拈提)技術力は、加藤社長の頭脳に支えられているようだ。「自分がやってきたような独創的な開発や、ニーズをピンポイントで汲み取る能力のある人が、そうそう簡単には現れないのも現実で、200人や300人の会社でそんな才能があちこちで開花するなどということは滅多にないです」と述べ、「独創的な発想で臨み、最後まで決して諦めない人材の発掘と長期育成を目標として、発明に興味ある若い芽を育もうという地域社会での取...

第4則 加藤文雄ツカサ工業社長(1) 本則・機縁

(本則)加藤文雄社長は、愛知県半田市生まれ。18才で父が昭和21(1946)年に創業した非鉄金属溶接業の加藤溶接工業所に入社、昭和44(1969)年に資本金500万円にてツカサ工業株式会社を設立、43才で代表取締役に就任。現在、資本金5000万円、社員数125名、連結売上高37億円(2008年3月期)。業種は各種粉体関連機器・システム・プラントの設計・製造・施行。粉体を扱う機器とプラントの設計・施...

第3則 元松下電器松下幸之助社長(3)評唱

(評唱)―社長とはどんな人か?ここで問題なのは、幸之助は後継社長を育てられなかったのではないか、という意見があることである。後継者である女婿松下正治社長が、会社の危機を乗り切れず、幸之助の営業本部長代行への復帰によって危機を脱したからである。しかし、そのような意見を持っている方々は、企業の社長たる人達に何を期待しているのであろうか。また、現パナソニックの社員は、誰に、何を期待しているのであろうか?...

第3則 元松下電器松下幸之助社長(2)拈提

(拈提)松下幸之助は、明治27(1894)年和歌山県に生まれる、平成元年(1989年)に94歳で亡くなった。いうまでもなく、松下幸之助は、パナソニックグループ(旧松下電器産業)の創業者である。大正7(1918)年、23歳で創業、戦後の昭和21(1946)年には、「Peace and Happiness through Prosperity=繁栄と平和によって平和と幸福を」のスローガンを掲げてPHP研究所を創設、昭和55(1980)年には...

第3則 元松下電器松下幸之助社長(1)本則・機縁

(本則)松下幸之助は、いうまでもなくパナソニックグループ(旧松下電器産業)の創業者。第一次家電ブームの昭和36(1961)年、65歳の時、社長を退き代表取締役会長に就任、社長の座を女婿の松下正治に譲った。(機縁)「事業の規模が大きくなるにつれて、いかに超人のごとき偉大な社長でも、自分一人の力では、経営は円満に動かなくなって来る。とくに私のように一代で事業を育て上げた会社では、創業者としての私に頼る傾向...

何故、社長の公案を学ぶのか?

われわれ日本人は、資本主義社会に生きている。自由主義社会である。国家が、我々民間人に経済活動を強制することは原則としてない。役人は、国民から税金を徴収し、国家でなければできない「事業」、例えば、防衛関連の分野にその税金を使うだけである。経済は、人為的に操作できるものではない。頭で物を考える人は、政策を行使して、デフレ経済にしたりインフレ経済にすることができると思っているかも知れないが、為政者が、人...
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